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  • 2008.01.14 Monday
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インド旅行記2006夏 4.フレンド野郎とマイソール

旅には二種類あると思う。

一つは「点の旅」。この種類の旅で重要なのは、それぞれの観光地でいわゆる「観光」を行うことである。京都旅行を例で挙げれば、この場合重要なのは「金閣寺」や「清水寺」や「渡月橋」で京都の歴史や文化に触れることであり、その土地までの「移動」は旅としてはカウントされない。個人旅行でこのタイプの旅行をする人も多いが、この種の旅の代表的な例は、ツアーや修学旅行などの団体旅行に挙げられよう。その土地、土地で色々と経験するが、移動は新幹線や貸し切りバスで睡眠や旅行参加者との会話などで終わってしまう。この種の旅の思い出は、訪れた観光地での経験のみであって、それは地図で示してみれば「点」でしかない。

これ対して「線の旅」というものもある。このタイプの旅では、名所を巡るだけでなく、移動中も移りゆく景色や自分が今移動している地点を常に意識し、その土地に住まう人々の様子を観察したりする。この種の旅に使われる移動手段は、鈍行列車であったり、バスであったりすることが多い。青春18切符などは、完全にこのタイプ向けの切符であろう。後々になって記憶を思い返すと、その思い出は「点」のような断続的なものではなく、「線」のような連続したものとして思い出される。

「だとすれば、今自分が行っている旅は後者か。」

そんなことをぼんやりと考えているうちに、バスの中で眠っていたらしい。ギュウギュウのバスで、固定された姿勢しか保てなかったので、腰が痛い。周りは皆眠っているようで、いびきが聴こえてくる。バスは超満員で、床に横たわっている人で通路はいっぱいだった。

バスは時折休憩を取るが、ほとんど走りっぱなしだ。僕が目覚めたとき、バスは急な坂をエンジンをぐわんぐわん言わせながら登っているところであった。外は時折明かりが見える程度で、街灯も家があるところにだけあるだけで、「全く無い」と言ってもよい。しかも、標高が上がっているからなのか、寒い風が窓から容赦なく吹き込む。窓を閉める。黒みがかった遮光窓なのでただでさえ暗い車窓が、ほぼ完全に見えなくなった。

バスは、闇の中を右へ左へ曲がりながらエンジンを唸らせて坂を登っている。マイソールは内陸のデカン高原に位置するので、デカン高原に向けて坂を登っているのかもしれない。昼間だったら景色が良かっただろう。しかし、今は対向車の明かりと僅かな民家以外は闇ばかりだ。再び意識を飛ばす。

次に目が覚めたとき、隣の人が小太りの男に代わっていた。見覚えのある顔で、確か最初の休憩所で僕の前に座る白人女性に話しかけていた男だ。途中のバス停で元々となりに座っていた人が降りたので、陣取ったのだろう。僕が起きたとき彼も起きていて、最初このバスの中でただ一人の東洋人である自分を珍しそうに見ていたのだが、やがて耐えられなくなったらしく「どこから来た?」と、いつもの質問をしてきた。この国の人間は、まず最初に出身地を訊くのが慣例なのだろうか?

「日本から来た。」
「日本のどこだ?」
「千葉だ。東京から電車で1時間くらいのところだ。」
「そうか。どこに行く?」
「マイソールに行く。」
「奇遇だな、フレンド。俺もマイソールに行くんだ。」

二言、三言言葉を交わすと「フレンド」に格上げされてしまうのも、この国独特だと思う。

彼と交わした会話を総合すると、彼はマイソールで一人暮らしをしつつ薬学を学んでいて、今は帰省の帰り。母語はタミル語だがヒンディー語や英語も堪能。ここまで会話したところで、彼は、
「日本人は何語を喋るんだ?」、と訊いてきた。
「日本人は日本語を喋る。インドみたいにたくさんの言語は無い。」と答える。

 あとは、家族構成だとか、日本食はどうだとか、インド料理はこうだとか、とりとめも無いことを話した。途中で恋人は何人いる?だとかフ○ックは好きか?とかいう話まで話題が進んだときは、さすがにうざったかったが。ただ、彼が、「日本と聴いて思い浮かぶのは『トーキョー』、『ヒロシマ』、『ナガサキ』の三つだけだな。」と、指を折りながら言っていたことだけは強く記憶に残っている。

 やがて朝日が昇り、外が明るくなり始めると、自分達の乗っているバスがどういうところを走っているのかが明らかになってくる。外は深い森(木々の丈は低め)で、道は簡易舗装、街灯は一本も立っていない。朝霧が出ている。これでも一応幹線国道のようで、早朝だというのにトラックや車と頻繁にすれ違う。

 隣の薬学部生との会話は一通り済んで、しばらくお互いにだまりこくっていたが、彼が突然自分の携帯をいじりだして「日本ではどんな携帯があるんだ?」と訊いてくる。日本の携帯電話を持ってきていたので、取り出して見せると、珍しそうに眺め始めた。カメラで写真を撮ってみたり、動画を撮ったり一通りいじり終わると、メールアドレスと電話番号を教えてくれと言う。
 出会って数時間しか経っていないような人間にアドレスを教えるのもどうかと思うが、とりあえず携帯電話の番号とPCのアドレスを伝える。お金がかかるが、かけようと思えばインドからこの携帯にかけることも可能だ。(そして一ヵ月後に彼は本当に電話をかけてきた)
 アドレスを教えると、今度は「今日はどこに泊まるんだ?」と言う。
 
 「宿は到着してから決めるよ」
 「うちに来ないか?観光地には足がいいぞ。」

 ありがたい申し出ではある。そして、インド人の中流階級の学生が一人暮らしでどういう生活をしているのかは、非常に興味深いところである。だが、この国では人を信用しきって人任せにするといい結果にはならないことが非常に多い。まして、異国の知らない街で、知り合って数時間の人の家に突然転がり込むなど、インド人の感覚はわからないが日本人の感覚(少なくとも自分の感覚では)ではあり得ない話である。ここは転ばぬ先の杖である。

 「いや、ガイドブックからいくつかピックアップしているからいい。」
 「そんなこと言わずに泊まれよフレンド。」
 「いいアイディアだが、俺は別にいいよ。ノーサンキュウだ。」
 「宿は高いぞ。うちに来ればタダなのになんで断るんだフレンド。」

 しつこい。そして、こちらの貧弱な語彙では断り方のレパートリーに限界がある。答えに窮する。

 「だけど、俺は一人で宿を探したいんだ。そういう旅をしているんだ。じゃあ、宿が見つからなかったら行かせてもらうから、住所だけ教えてくれ」と言って、住所と電話番号をノートに書いてもらった。悪意が無いのはよくわかるし、こちらとしても惜しい申し出ではあるが、その対応が限界だった。

マイソールの街は、突然木々の間から現れた。簡易舗装の道路が、突然広い道路に変わり、交通量があっという間に増えた。バスはまず郊外のバススタンドで一部の客を降ろし、市街地に入るとすぐにバスターミナル着いた。ほぼ定刻どおりの到着。12時間もお世話になったバスに別れを告げる。例の薬学部生は「本当にうちに泊まらなくていいんだな?」と言う。「うん、宿を探すよ。」と答えると「そうか。宿はこっちに多いぞ。」と、バスターミナルの正面を指差して「じゃあな。フレンド!」と手を振った。「ありがとう!」と手を振り返すと、次の瞬間には彼の興味は、荷物を一生懸命降ろす白人女性たちに移ったようで、何やら話しかけていた。

僕は、ガイドブックで目星をつけていたバスターミナル裏のWoodside Lodgeをすぐに見つけて、宿の親父に部屋を見せてくれと頼んだ。すると親父は若い青年を呼び出して、部屋を案内させた。
部屋は、小さなシングルベッドを二つ並べたらもう何も置けないくらい狭く、天井には例によってファンが今にも落っこちてきそうな音を立てて回っている。風呂場は見た目がかなり汚く、トイレは完全なインド式だ。しかし、個室なのにこのホテルの値段は一泊90ルピー(250円以下)である。これはドミトリー並の値段、いや、大都市ならドミトリーでもこの値段では泊まれない。部屋は汚く、ベッドのシーツにはシミが目立っていたが、値段に惹かれて宿泊することにした。時刻は午前九時。今すぐにでも動き出したいが、前日はバスであまり眠れなかったこともあるので、とりあえず仮眠する。

正午ちょうどに目が覚めた。すぐ裏がバスターミナルなので、結構騒々しい。歩いてマイソール駅へ行く。明日のバンガロール行きの特急列車の切符を手に入れたかった。30分近く歩いて駅に着く。ピンク色の塗装は、一歩間違えたらラブホテルだが、チケット売り場があるので間違いなく駅である。まずは「エンクワイアリー」の表示のある窓口で、特急列車に空席があるかを訊く。例によって、列になっていない列に並ぶ。前の人に身体を密着させないと横取りされる。ここでもコーチンのバスターミナルと同じように暗黙のルールは生きていて、窓口氏は群がりの中からきちんと来た人順に仕事をこなしていた。

窓口で特急に切符があることを確認し、切符売り場の窓口に並んで無事切符を手に入れる。インド最速の特急列車「シャタブディ・エクスプレス」である。シャタブディとは「世紀」の意なので、「世紀急行」ということになろう。切符を手に入れて、今度はエンクワイアリーで「時刻表はないか?」と訊いた。鉄道の旅を面白くしてくれるのはなんと言っても時刻表である。しかし、エンクワイアリー氏が教えてくれた窓口に行って「時刻表をくれ」と言っても、「ここじゃお門違いだぜ、兄ちゃん」というジェスチャーをされる。

時刻表は諦めて、駅の売店で冷えたコーラを買い、ホームのベンチに座って飲む。日本のようにホームと外の世界を区別する改札口が無いので、ホームでは明らかに電車に乗らなさそうな人も昼寝をしていたりする。今は列車の発着が無いらしく、ホームは閑散としていて静かだ。線路を犬が歩いている。コーラを飲みながら、ガイドブックとにらめっこしてこれからの予定を考える。とりあえずマハラジャパレスに行きたい。駅は西の端にあり、マハラジャパレスは東の端にある。マイソールはあまり大きな街ではないので歩いて行けそうだ。道中、街の中心部も通るので、活気ある街並みを覗けるだろう。歩きがてらに覗くとしよう。駅の外へ出た。

マイソールは地方中都市といった趣の街で、高層ビルの類はまったくない。道もそれほど広くない。しばらく歩くと、牛がたむろしている一角に出た。

牛。そういえば、インドに来て3日が経ったが、まだ街中で牛を見ていなかった。南インドには街中に牛がいないのだろうか。デリーに住んでいたころは牛が街中を我が物顔で歩いていたし、ヴァラナシ(ベナレス)に行ったときは路地で牛と正面衝突しそうになった。なのに、今回の旅では牛に全く出会わなかった。突如、街中で牛と出会えて、僕はちょっぴり感動した。

さらに歩くと、街の中心街に来たらしく、両脇が商店でいっぱいになる。道は狭いが、交通量は多い。人々が歩道や車道にあふれている。インドの活気あふれる市街地の風景がそこにはあった。

歩くこと30分。やや道に迷いながらも、マハラジャパレスの門まで来た。が、そこからでは入れなかった。市街地側の門は閉じられているのだ。仕方が無いので、反対側の入り口になっている門まで回る。20分近く歩く。牛とすれ違う。車道を車やリクシャーに混じって、馬車が走る。思わず見入っていると、馬車の親父が、「いいカモ見っけ!」という感じで、突然馬をこちらに向ける。無理やり乗せられて高額な乗馬賃を請求されてはたまらない。早足でその場を離れる。マハラジャパレスにようやく着いたころには、閉館の1時間半前になっていた。日が傾きかけていた。

チケットを買って敷地にはいる。広い庭の向こうに、とてつもなく大きな建物が見える。その建物の入り口まで来ると、土足厳禁らしく靴を預ける場所があった。一足50パイサ(1ルピーが100パイサ)とある。しかし、パイサなんて滅多にお目にかからないし、今は1ルピーコインも持っていない。仕方が無いので、10ルピーを出しておつりをもらおうとするが、ものすごい嫌そうな顔をされて5ルピーだけ返された。10倍のお金をとられてしまった。

靴を預けて館内に入る。チケットを門衛に見せると、「格安でガイドを出しますよ」と、言われた。首を振ってさらに中に進む。床がひんやりする。壁には、このマハラジャ一族の肖像画や、一族にゆかりのある土地の風景画などが陳列されている。吹き抜けのホールには、とても豪華な照明がつるされている。しかし、電球が切れたのか、メンテナンスなのか、おっさんたちが脚立を使って何やらしていた。内装は豪華で、市街地側の一番広い庭向きに競技場の観客席のようなものも設けられている。マハラジャがここで何かの競技をしていたのだろうか。マイソール最大の見所なだけあって、観光客も多い。白人系の観光客もいる。インド人観光客の中には、高性能そうなデジカメを持つ人も多かった。

一通り回って、広い庭でぼんやりと人々の動きを観察してマハラジャパレスを後にする。豪勢な宮殿だったが、北インドで一通り観光を済ませてからここにわざわざ来ても、あまり面白くないかもしれない。陳列物は、どう考えてもジャイプルのシティパレスのほうが多彩で面白かった気がする。

またマハラジャパレスの外縁をぐるりと回って市街地へ戻る。雲行きが怪しい。一雨来そうだ。ネットカフェを見つけて中に入る。そろそろメールチェックをしておきたい。半地下のネットカフェでネットサーフィンをしていると、突然大雨が振り出した。雨季特有のスコールだ。半地下で扉は無いので、店員があわてて土嚢を積み出す。雷もなる。雨が止むまでのんびりとネットをした。

雨が落ち着いてきたので、ネットカフェのとなりにあったピザ屋に入ることにし、ネットカフェをあとにする。僅かな時間の降雨だというのに、道は洪水のようになっていた。水はけが悪いというか、治水がなっておらず、道路わきに排水溝も無いので、水が行き場を無くして道に残るのである。歩道はぐちゃぐちゃで、歩くと泥が跳ねてズボンが汚れる。このジーパン一本しか持ってきていないので、気をつけながら歩く。車道は比較的水溜りが落ち着いているので車道に出ると、後ろから車がけたたましくクラクションを鳴らしてきた。追われるように歩道に戻るとき、よけきれず真っ黒な水溜りに片足をサンダルごと突っ込んでしまった。思わず「ひぃ!」と叫んだ。手遅れ。この後、僕のサンダルは左右で違う色のまま旅を進めることになった。

ピザ屋ではごく普通のピザも売っていたが、ここはインドっぽく、チキンティッカというインド料理名のついたピザを取った。が、これは失敗で、ひたすら辛いだけで到底口に合うものではない。しかも、値段は飲み物とスープを含めると177ルピーと、一食としてはこれまでで一番高くついた。宿代を安く抑えたのに勿体無い。

部屋に戻って、シャワーを浴びる。お湯は出ず、水が弱々しくチョロリと出るだけだ。変な虫がバスルームの端を歩き回る。身体に石鹸を塗りたぐって水を浴び、カラスの行水といった感じで風呂を済ます。マイソールは高地なので夜は涼しい。水シャワーを浴びた上に扇風機を回しっぱなしにすると風邪を引きそうだ。だが、扇風機を止めると虫に襲われるので、風力をもっとも弱い段階にあわせて就寝。夜遅くまで、すぐ裏のバスターミナルは賑やかだ。

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