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  • 2008.01.14 Monday
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インド旅行記2006夏 2.コーチン(南部)

 コーチン空港のターミナルを出たのは深夜の2時半だった。流しのタクシーは怖いので、空港であらかじめチケットを買って乗る「プリペイドタクシー」に乗った。値段は高いが、深夜到着で疲れきっているのでまぁよい。もっとも、デリーの空港などでは、このプリペイドタクシーが悪質な旅行会社に連れて行くなど、到着早々のトラブルの原因になっているので、ここコーチンでも気は抜けない。ドライバーにはコーチン市街にある「エルナクラムジャンクション駅に行ってくれ」と伝えた。宿探しはそれからだ。

 タクシーは、インド国産のタータという会社の車。インド産の車の中ではかなり近代的な小型車だ。最近は、日本や韓国資本の車の工場がインドにも出来ているので、自動車業界も随分立派な車を作るようになったようである。インドは90年代に入るまで、工業製品などを輸入しない、自給自足の国だった。

 明かりが少ないので、車は暗闇の中をライトだけで走る。深夜なので、他に車は少ない。自動三輪のオートリクシャーも走っている。バイクを三輪にして、幌をつけただけの乗り物だが、安いので、いずれ乗りたいと思う。が、今は、立派な車の乗客である。エアコンも付いている。エアコンのスイッチを入れてくれているのに、窓も全開にしているのであまり意味が無い。インドでは、エアコンつきの自動車さえ、一昔前までは珍しかったのである。そして、インド人はあまりエアコンを好んで付けるわけでもないようだ。

 しかし、空港から市街地までの距離が長い。いくつも川を渡る。30分ほど車に揺られただろうか。「ひょっとしてこのドライバー、市街地に行かず俺をどこかに連れ込む気じゃないのか?」と心配になりかけたころ、漸く市街地に入った。しかし、連れて行かれた駅は「エルナクラム・ジャンクション駅」では無く、「エルナクラム・タウン駅」だった。ここは、市街地の外れの方の駅なので、ホテルを探すには不便である。

 僕は「ノー、エルナクラム・ジャンクションステーション!」とドライバーに言った。ドライバーは、首を軽く横に振る。これは、「了承」の意である。インド人と話していると気が付くのだが、相手が「了承」の意を示すとき、彼らは軽く横に振る。「拒否」のときは激しく首を振る。日本人には慣れないジェスチャーなので、はじめて見るときは非常に戸惑う。

 10分ほど街の中を走ると、もう一つの駅に着いた。そこが「ジャンクション駅」であること確認してから「サンキュー」と一声ドライバーにかけてタクシーを降りた。駅の規模は大したこと無い。だが、深夜だというのに、駅には足の踏み場も無いほど人が横たわっている。物乞いではなく、単純に朝の列車を待っている風である。大きな荷物を抱え、薄汚れたシーツのような布の上でみんな横たわっている。暗闇で肌も黒いので、眼と歯だけが白く映る。はじめて見る風景では無いが、「いよいよインドに来たな」とも思う。

 時刻は3時過ぎ。これから、深夜の街を重たいリュックを背負って宿を探さなければならない。僕は、沢山の人が横たわる駅を背に、静まり返った夜の街へ足を踏み出した。

 と、いきなりリクシャーの親父が声をかけてくる。「ホテルを探しているのか?連れて行ってやる」と言う。しかし、彼らが連れて行くホテルは彼らが紹介料をもらえるホテルで、そこがいいかどうかはわからない。彼らに委ねるのも悪くは無いが、僕はいくつかガイドブックから安宿をピックアップしていたので、断った。歩いたところで、あまり大きな街ではない。

 本当に静かな街だ。大通りは、一分に一台くらいの車が走るが、その車が走り去ると、虫の鳴き声くらいしか聴こえてこない。やがて大通りを抜けると、街灯もまばらになる。闇の中を歩く。目の前に警官が一人座っているのが闇の中に見えた。職質でもされたら面倒なので、目を合わせないように足早に歩く。白い目がギョロリと動く。

 20分ほど歩いただろうか。目星をつけていたホテルに着く。しかし、開いている気配は無い。夜だからだろうか?傍にいた門衛に何時に開くか訊いたが、門衛はそれには答えず「部屋は無い」という。なんてことだ。本当に部屋が無いのか、深夜に新しい客を連れていくのが面倒なのか、判断できなかったが、何度訊いても「無い」の一点張り。諦めた。

 時刻は4時近く。もはや深夜というよりは早朝である。断られたホテルの前の道をちょっと進むと、海に出た。対岸の島の街の明かりが海に反射している。しばしその景色に見とれていた。しかし、いつまでも海を眺めている暇は無い。

 今来た道を引き返す。と、突然目の前を黒い影が横切る。そして、その影は道の隅っこでジョバジョバと音を立てる。目の前の家の門番の、豪快な朝のオシッコだった。さらに戻ると、さっきの警官に睨まれる。大通りまで戻って、大通り沿いに歩く。一つ、大きなホテルの目の前を通った。持っていたガイドブックにも載っているが、若干予算より部屋代が高いので諦める。さらに進む。リクシャーの運転手が声をかけてくる。面倒くさくなってきた。時刻は朝4時半を回った。日本時間の8時だ。成田空港を出てから20時間が経ったことになる。鳥の囀りも聞こえてくる。

 朝が近いからか、外に出てくる人も増え始め、中には「ホテル探しか?ついて来い」と言う輩もいる。僕は大通りを戻って、件のちょっと予算オーバーなホテルに入った。「部屋は無いか?」。レセプションの若い青年は「もちろんあります。シングルですか?」と応える。「シングルでエアコン無しだ。部屋を見たい」。「かしこまりました」と青年は答え、下っ端っぽい男を呼び出し、鍵を渡して僕を案内させる。下っ端の男は、異常にノロいエレベーターで4階に上がると、ちょっと奥の部屋の扉の南京錠を無造作に開けて、入れという仕草をする。

 部屋は広い。石の床で、広い部屋の隅っこに、小さな木のベッドが所在無げに置かれていた。扇風機が上でカタカタと回っている。ソファーのようなものも置かれている。トイレは紙こそ無いものの、洋式である。シャワーもある。ここにすることにした。レセプションに戻り、一泊500ルピー(1200円程度)であることを確かめ、投宿した。パスポートを預かられたのが心配だったが、あとで返すという。

 部屋で旅装を解く。時計を見ると、既に午前五時を回っていた。鳥のさえずりだけが外から聞こえる。ぬるいお湯のシャワーを浴びて、インドに着いたのだなあと実感しているうちに眠ってしまった。長い、本当に長い一日であった。

 ものすごい喧騒で目が覚めた。時計を見ると、午前十一時を少し回ったころ。部屋が大通りに面していたのだ。けたたましいクラクションの音と、エンジン音、人々が叫ぶ声。五年以上も前にデリーで聴いたあの喧騒と一緒だ。紛れも無いインドの街の音。「インドに戻ってきた」。まだ眠たかったが、いてもたってもいられなくなり、トイレを済ませパスポートを返してもらってから、喧騒のコーチンの街へ出た。

 ガイドブックの地図で、この街の地理はなんとなく判っていたので、とりあえずでたらめに海のほうへ向かって歩いてみる。サリーを着た人とすれ違う。リクシャーの運転手(ワーラー)が声をかけてくる。野良犬が寝そべる。歩道は破壊的に汚いので、車道の隅っこを歩くのだが、後ろからバイクやリクシャー、トラックや乗用車が遠慮なく接近してくるので、最大限の注意を払わねばならない。そして、何よりも暑い。汗が噴出してくる。

海沿いの通りらしいところに出る。ガイドブックを開いて自分の居場所を確認し、ジェッティーを探すことにする。ジェッティーとは、舟着き所のこと。舟は、大きく分けて三つの地区からなるコーチンでの重要な交通手段の一つである。しかし、地図でジェッティーがあるべき場所へ向かう道が見つからない。海沿いの遊歩道は見つかる。

遊歩道をひたすら進むと、BARISTAと書かれた赤いコーヒーのマークが見えた。バリスタはインド版スターバックス。五年前は名前をチラと聞く程度だったが、今やインド全土に展開しているコーヒーチェーンである。バリスタはこの先十日間の旅の間、何度もお世話になった。とかく体力を使うインドでの旅の場合、エアコンが効いた場所で休憩するのは体力温存と言う意味で大変重要である。

バリスタの扉を開ける。涼しいエアコンの風が身体に当たる。店員の愛想はそれほど良くないが、これはインドでは普通である。愛想が良いほうが、逆に怪しまなければならないこともある。アイスコーヒー(39ルピー=約100円)を頼む。ストレートが好きなのだが、この国では砂糖とミルクをコーヒーや紅茶にたっぷり入れるのが習慣である。程なく甘いコーヒーが供される。まだ40分程度しか歩いていないのに、非常に疲れた。この先のことも考えて体力は大事にしなければ、と思う。30分ほど休む。ガイドブックを開いて、ジェッティーの場所を再度確認してから出発。

ジェッティーは空き地のような場所にあった。僕は東京の水上バス乗り場のようなものを想像していたので、これでは見つからないわけだ、と思いながら舟に乗り込んだ。僕が乗り込むとすぐ出発した。エンジンが爆音をあげる。耳がおかしくなりそうだ。車掌が来てお金を払うと、ザラ版紙のショボイ切符を渡された。舟で、フォートコーチンと言う旧市街のようなところへいくつもりである。海を眺めていると、向かいの島には沢山の大型貨物船が停泊している。このあたりの海にはイルカもいるという。目を凝らしたが、見れなかった。

20分ほどでフォートコーチンのジェッティーに到着する。こちらは、コーチン市街(エルナクラム)に比べるとかなり田舎である。簡易舗装の道路が続く。僕は、またでたらめに歩き出した。ユダヤ教のシナゴーグと、ダッチパレスと言うオランダの総督が住んだ建物に行ってみようと思う。

 それらしき方向へ向かって歩いているつもりなのだが、かなり香辛料臭い商店街のようなところを進んでいる。商店街といっても、走る車も少なく、ときおりリクシャーとすれ違う程度である。宿泊しているホテル周辺のような喧騒とはまったく無縁な空間である。30分ほど歩いた。しかし、ダッチパレスもメインジェッティーも見つからない。土産物屋が増えてきて、執拗に僕を連れ込もうとする。疲れる。

 ガイドブックの地図に寄れば、ここはフォートコーチン地区の南にあるマッタンチェリー地区で、ここにもジェッティーがある。ここのジェッティーは土産物屋の並ぶ道の奥にあった。桟橋では釣りをしている人がいる。15分ほど待つと、エルナクラム行きの舟が来た。大した観光も出来なかったが、コーチンが喧騒のエルナクラム地区と静寂のフォートコーチン、マッタンチェリー、などの様々な地区から成り立っていることがわかったのでそれだけで満足である。

 舟は再びエルナクラムに向けて出航した。途中でフォートコーチンなどのジェッティーを経由する。隣に座った親父が、日本人をはじめてみた!的な顔で覗き込んでくる。これも、南アジアではよく経験することだと思う。やがて親父は耐えられなくなったのか、「ハロー、どこから来た?」と訊いてきた。「日本」と応える。「仕事はなんだ?旅行で来ているのか?」「学生だ。旅行で来ている」。訛りの非常に強い英語である。

 エルナクラムの空き地のようなジェッティーに戻って、バリスタがあった建物に戻る。この建物は高級ショッピングセンターのようで、フードコートがあった。中華のファストフードのような店で、チキンヌードルとペプシを頼む。味はそこそこであった。インドでは、インド料理の次に中華料理をよく見かける。食事をしながら、コーチンを出たらどこへ行こうか悩む。最初はインドの最南端に行こうと考えていたのだが、飛行機の中でガイドブックを見ていると、最南端に行くと電車でニ連泊をしなければならないことに気がついた。10日の旅を二泊も連続して電車で過ごすのはどうも惜しい気がした。そこで、コーチンから北へ進んでマイソールというところへ行くことを考えた。

 マイソールは、イギリスの植民地支配に頑なに抵抗したマハラジャがいた土地である。結局彼らはイギリスに負けるのだが(マイソール戦争)、その後イギリスにこの土地の自治を委ねられた別のマハラジャの繁栄が栄華を極め、彼らの住む宮殿はインドでも最大の規模を誇るほど大きな宮殿だという。

 問題はどうやってマイソールまで行くかである。鉄道は面白そうだが、まずは深夜バスで行くことにした。こういう移動手段は、体力が余っている旅の序盤で経験しておこうと思ったからである。バスは安いので、旅の序盤から無駄にお金を使うことも無い。

 ホテルに一旦戻り2時間ほど休む。備え付けのバケツで洗濯をする。部屋に、日本から持ってきたロープを張り巡らせて、洗濯物を干す。シャワーで、外でくっつけてきた埃を洗い流す。6時半になって、夕食とネットカフェを探しに再び街へ出た。

 ネットカフェはすぐに見つかった。30分で20ルピー(50円)である。日本語は打てなかったので、ローマ字で生きていることを親に伝え、ブログでも報告し、ムンバイで別れた友人にもmixiでメッセージを送る。このネットカフェは、空調はおろか、扇風機すら付いていないので、大汗をかきながらネットをする羽目になった。おまけに、どこから沸いてきたのか、巨大な蚊が腕や足に吸い付いてくる。たちまち腕と足が真っ赤に腫れた。

 ネットカフェを出て、夕食を食べられるようなレストランを探す。やはり、インド料理が食べたい。30分ほどうろついて、Family Restaurant Imperialなるレストランを見つける。ファミレスと言うよりは、扉が無い土間の続く町食堂である。中ではファンが回っている。明るくて清潔なレストランだ。大きなチャパティ(発酵させないパン)とチキンカレー、ライムソーダを頼む。

 店員が絡んでくる。例によって質問は「どこから来た?」「家族は何人だ?」「いつまでいるんだ?」といった感じだ。「日本から来た」「家族は五人」「コチンは明日には出ると思う」。彼は、インドのかなり南のほうにあるリゾート地コヴァーラムビーチで働いていたそうで、妹がいる。そんなことを話していると、「バックウォーターツアーはいいぞ。行ったほうがいい。」と言って来る。バックウォーターツアーとは、水郷地帯をボートで進むツアーのことで、この辺りでは有名な観光名所である。時間があれば僕も行きたかった。

 65ルピー(160円ほど)の大変おいしい夕食を終え、お金を払い店を出ようとすると、件の店員が「ありがとう。また明日な!」と言ってきた。明日また来るのも悪くない。ただ、この店にも蚊がいっぱいいたようで、夕食を終えた頃には足は無残な姿になっていた。

 ホテルに戻り、テレビを眺めながら就寝。

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